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株式会社JFEホールディングス

種類 株式会社
市場情報 東証1部 5411
大証1部 5411
名証1部 5411

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本社所在地 東京都千代田区丸の内一丁目1番2号
設立 2002年9月27日
業種 鉄鋼
事業内容 鉄鋼、半導体、エンジニアリング、都市開発、リサイクル
代表者 數土文夫
資本金 1,000億円
売上高 連結:3兆984億円(2006年3月期)
関係する人物 半明正之、馬田一
外部リンク http://www.jfe-holdings.co.jp/

沿革

JFEホールディングス本社(東京都千代田区)1912年 日本鋼管株式會社(にほんこうかん。以下、NKK)が川崎市に設立
1950年 川崎重工業株式會社から製鉄部門が分離独立して、川崎製鉄株式會社(かわさきせいてつ。以下、川鉄)を神戸市中央区に設立。
2000年4月 NKKと川鉄の千葉(千葉市)、川崎(川崎市)、水島(倉敷市)、福山(福山市)の4製鉄所の立地条件を活用した製鉄所運営の効率化を推進するため、物流・補修・購買関連分野の協力について検討。9月に合意。
2000年10月 NKKのLSI設計事業、電子デバイス事業を富士通に譲渡し撤退。
2001年4月 製鉄及びエンジニアリング事業をコア事業とした、グループ会社も含めた全面的な経営統合を行なうことについて両社が基本的に合意。
2001年4月1日 NKKの重工部門を分離して住友重機、川崎重工、日立造船と合併、スチールプランテックとなる。
2001年12月 経営統合について基本合意書を締結。グループ名を「JFEグループ」とする。2002年5月に統合契約書調印。
2002年1月 NKKの米国子会社ナショナル・スチールを、米国USスチールに売却。
2002年3月 川鉄のリース子会社を東京リースに売却。
2002年9月26日 NKK 1,000株に対し、ジェイエフイーホールディングス75株、川鉄1,000株に対し、同100株の比率で株式を移転。翌日、ジェイエフイーホールディングス設立登記。
2002年10月1日 NKKの造船部門を分離して日立造船と合併、ユニバーサル造船となる。
2003年4月1日 NKK、川鉄の両社を分割、鉄鋼事業をJFEスチール(継承会社は川鉄)、エンジニアリング事業をJFEエンジニアリング(継承会社はNKK)、化学事業を新設のJFEケミカル、NKKの都市開発事業を新設のJFE都市開発、NKKの基盤技術研究所を新設のJFE技研に再編。川鉄子会社の川崎マイクロエレクトロニクスをジェイエフイーホールディングスの子会社とする。

歴史
JFEの誕生には、日産自動車のカルロス・ゴーン社長のゴーン・ショックが遠因となったという見方をされている。日産自動車は調達コスト見直しのために、自動車生産にとって不可欠の材料である鉄鋼材料についても仕入先の見直しを行うことになった際にNKKが外れてしまったことが、川崎製鉄との合併に踏み切ったというものである。NKKは日産自動車とおなじ芙蓉グループであった点からみても、日産の当時の日本の商習慣から見てドラスチックな判断が、産業界を代表する業界のひとつである大企業の合併につながったといえる。 経緯を振り返ると、経営難に陥った多角化企業NKKの分割解体と、NKK鉄鋼部門の川崎製鉄による吸収という見方ができる。本当の意味でのリストラクチャリングを成功させた。

JFEスチール誕生後の同社の戦略は、リストラによる財務環境の良化と人事融合が挙げられる。人事の融合に関しては、NKK出身者(社内では旧Nと呼ぶ)と川鉄(同じく旧川と呼ぶ)の人事はよくあるたすきがけではなく、完全な”相手の理解”を狙ったところはこれまでの経営統合の事例では異色である。互いの製鉄所においては同じ部門の責任者は、他方の工場の責任者へと異動したり昇進人事の凍結を行うなどした。2004年期の業績好調を受け、首脳陣の交代が決まった。


傘下の会社
JFEスチール
JFEエンジニアリング
JFEケミカル
JFE都市開発
JFE建材
JFEコンテイナー
JFE製缶
JFE商事
JFE物流
川崎マイクロエレクトロニクス
JFE技研
川商フーズ(ノザキのコンビーフ発売元)

その他
羽田京急バスが蒲田駅から萩中経由でJFEまで行くバスが運行されているが、わずか平日2往復のみである。


関連項目
西山記念会館
佐藤信二

外部リンク
JFEホールディングス

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